ねじ切り 基礎
Machining of holes ねじ切りの歴史
ねじは、紀元前5世紀にギリシア人によって発明されたと言われています。木ねじはローマ人が発明しました。これは青銅と銀でできており、ねじ山は、盛りつけたり、らせん状に巻いたワイヤーをはんだ付けして形成してありました。 ねじに関する最初の文献は1400年代初期に書かれています。同年代(1400年代後期)にレオナルド・ダ・ビンチはねじ切り機械を設計しましたが、当時は注目されず、実用化は1568年、フランス人数学者ジャック・ベソンによって製造されてからです。 最初のボルトとナットは、1400年代に登場しました。この当時のボットとナットは手製で、単純で粗雑なつくりものに過ぎませんでした。そのため、ボルトとナットのはめあいが悪く、ねじを使う工場では互いのはめあいがいいものだけを選定して使う習慣がありました。 ジョセフ・ホイットワース卿(1803~1887年)は、イギリスのエンジニア・発明家で、1803年、ストックボードで生まれました。14歳のとき、ダービーシャーの綿紡績業者の見習い工員になりました。1821年には、エンジニアの職を得て、マンチェスターに移りました。1883年、自分の機械のお店を開きました。 最初の規格 19世紀、ほとんどの工場では、独自の締結方法を使っていたため、明らかにこれが規格統一の妨げになったようです。 ジョセフ・ホイットワース卿は、機械工が全員同じタップやダイスを使用すれば、コストの節減ができるだけでなく、製品の質も向上すると考えました。そこで、彼は、英国中の工場からねじを集め、1841年、それらの平均的な値をとり、標準ねじ山規格を考案しました。 この規格は、さっそくイギリスの鉄道会社で採用され、間もなく、イギリスホイットワース基準(BSW)となりました。ホイットワース形式のねじ山は、ねじ山角が55度で、ねじ山の頂上や谷底が丸くなっています。 20年後、アメリカで、セラーズ形式というねじ規格が導入され、後にアメリカ粗目ねじ(A.N.C)とアメリカ管用細目ねじ(N.F)になりました。セラーズ形式のねじ山は、ねじ山角が60度でねじ山の頂上や谷底が平らになっています。
1400年代後期にレオナルド・ダ・ビンチはねじ切り機械を設計しました。

ジョセフ・ホイットワース卿

BSW (ホイットワース基準:上図) とセラース形式

用語解説