鋼用
ステンレス鋼
鋳鉄対応
非鉄対応
難削材対応
高硬度材対応
銅製錬で日本の成長を支えて1世紀
都市鉱山リサイクルでも未来を紡ぐ
三菱マテリアルの直島製錬所があるのは穏やかな瀬戸内海の沿岸。現代アートの島として国内外に知られる直島で、銅を中心に金や銀などの非鉄金属を製錬しています。銅は文明の発展に欠かせない素材です。現代も電線から生活家電、IT素材まで幅広い分野で産業を支えています。製錬所の操業開始は1917(大正6)年。当時、鉱山に付属する山元製錬所が主体だった日本では、より効率的な銅製錬所が必要とされていたのです。
大正時代、重工業などの発展により銅の需要が増大するなか、国家的な急務となったのが各地から鉱石を集めて製錬する「中央製錬所」の建設でした。環境に適していたのは多くの銅鉱山が操業する瀬戸内海沿岸地域。なかでも基幹産業誘致に積極的だったのが直島町です。主な条件は最新技術で公害や煙害を防止すること。こうして三菱第4代社長の岩崎小彌太による指揮の元、環境を重視した製錬所の歴史がはじまりました。
粗銅や粗鉛からはじまり硫酸、電気亜鉛、カドミウム、ゲルマニウムなど、昭和初期までに様々な製品を作るようになった直島製錬所。1939(昭和14)年には反射炉を更新し、創業当時300トンだった月間の粗銅生産能力は1000トンに達します。1945(昭和20)年、終戦とともに操業は一時停止となるも翌々年には粗銅生産を再開。1952(昭和27)年には粗銅生産能力が1000トンに回復し、その5年後には3000トンにまで増強されました。
高度経済成長が一段落し、国内鉱山の相次ぐ閉鎖などにより存続が危ぶまれた日本の銅製錬所。そんな中で1969(昭和44)年に社運をかけて建設されたのが新銅熔錬工場です。電気銅生産能力7500トンの第二反射炉だけでなく、銅電解工場、新硫酸工場、総合事務所、変電所(中国電力)といった現代までつながる基礎を確立。大規模な設備投資により、前年まで年間5万4000トンだった粗銅生産は3倍以上に増加することになりました。
約3000年前、銅製錬に力を注いだソロモン王の時代から、原料を銅に精製するまでのプロセスを一貫して行うことは技術者の夢だったと言われています。1974(昭和49)年、その技術を世界で初めて実用化したのが「三菱連続製銅法」です。陣頭指揮を取ったのは、後に三菱マテリアル初代会長となる永野健。オイルショックによる建設難航など度重なる苦難を乗り越えて、無公害かつ高効率という世界に誇るシステムが誕生しました。
1989(平成元)年には東洋一の金生産能力となる貴金属工場を建設。銅だけでなく貴金属まで一貫した生産が可能になりました。1991(平成3)年、連続製銅炉と反射炉を一本化した生産能力の高い新連続製銅炉を建設。電気銅、貴金属、硫酸、石膏、粗硫酸ニッケルといった現在の主要製品でもあるラインナップが確立されます。しかし一方でこの時代になり、隣接する豊島で大量の産業廃棄物が不法投棄されていたことが判明したのです。
16年にも渡り処理業者が不法投棄した廃棄物は90万トン以上。直島製錬所は、その中間処理を行う香川県に全面協力することを決定し、時期を同じくして、シュレッダーダストなどの廃棄物リサイクル事業にも乗り出しました。現在、有価金属を含有する廃基板などのスクラップ(金銀滓/E-Scrap)を処理する能力は世界トップクラスにまで成長。金属事業における大きな収益の柱のひとつに成長させながら、持続可能な社会の発展にも取り組んでいます。