CRAFTSMAN STORY vol.9

鋼旋削加工用CVDコーテッド超硬材種 「MC6100シリーズ」

お客様、そして生産技術も含め中央研究所に関わる人の知恵と思いが性能を飛躍的に高めた

鋼旋削加工用CVDコーテッド超硬材種 「MC6100シリーズ」

佐藤 賢一 筑波製作所 材料開発部 コーティング開発課 / 髙橋 正訓 筑波製作所 材料開発部長 / 石垣 卓也 筑波製作所 材料開発部 コーティング開発課長

自動車部品を筆頭に、材料の高硬度化が進められている。これに伴い切削工具に対しても、一層の耐摩耗性が求められるようになっている。ただし耐摩耗性を高めると、工具には欠けが生じやすくなり、加工数が安定しない。この相矛盾する課題の解決をあるお客様から求められ、共同開発がスタートした。中央研究所で培われてきた知見をもとに、生産技術グループとも密接に連携しながらオールスタッフで取り組んだ開発。その成果が矛盾を解消し、耐摩耗性と刃先安定性の飛躍的なグレードアップとして実を結んだ。

始まりはお客様からの要望

―まず今回の新製品開発のキッカケから教えてください。

髙橋  新製品開発を始める理由は、大きく2つに分けられます。1つはお客様からの要望であり、もう1つが新技術の開発です。今回は海外のお客様から寄せられた要望が、開発の起点となりました。一方、常に新たな技術開発にも取り組んでおり、今回はその成果の1つが、タイミングよくお客様の要望に応えるものでもあったのです。

佐藤  自動車関連のパーツメーカーであるお客様の要望とは、要するに工具の長寿命化です。また、お客様は加工効率を上げることも要望されており、そのためには工具の性能改善が必要ということで依頼がありました。今回の案件に関して一点、通常と異なっていたのは、お客様も開発プロセスに全面的に協力するとの申し出をいただいた点です。通常の新製品開発は、基本的に社内だけで進められるものですから、ある意味異例の取り組みだったといえます。

―お客様から要望が寄せられたとしても、それに応えられるだけの技術の裏付けがないと話は前に進みませんね。

石垣  そのとおりです。長寿命化の要望に応えるためには、耐摩耗性を高める必要があります。当社にはCVD技術を活用した製品があります。CVDとはChemical Vapor Deposition、すなわち化学蒸着により様々な物質の薄膜を形成する蒸着法です。当社のCVDコーティング技術は優れているものと自負しております。CVDコーティング皮膜は耐摩耗性に優れている一方で、緻密に制御しないと剥離が起きやすいという特徴があります。この高い耐摩耗性を最大限に生かすため、膜の離脱を抑止する技術開発にはこれまでもずっと取り組み続けていました。

佐藤  そもそも硬質皮膜として使える材料には限りがあります。考えられる組合せ・条件でいかに耐摩耗性と刃先安定性を両立して高めるか。これはおそらくわれわれにとって永遠のテーマです。耐摩耗性を高める技術はいろいろ蓄積されていて、その1つが“Super”ナノテクスチャーテクノロジーです。

始まりはお客様からの要望

耐摩耗性を高める“Super”なテクノロジー

―以前のナノテクスチャーテクノロジーに、あえて“Super”と付け加えた理由は何でしょうか。

石垣  ナノテクスチャーテクノロジーは、中央研究所でずっと研究を続けているテーマの1つです。結晶を揃えて耐摩耗性を高める技術は早くから開発しており、2000年頃から特許をいくつも取得してきました。今回はその技術を飛躍的に高めたため“Super”を追加したのです。技術的な進化を簡単に説明すると、当初の技術ではAl2O3(アルミナ)の皮膜結晶において粒径と結晶の成長する方向が不均一でした。そこでまず粒径を揃えて均一性を改善したのが、ナノテクスチャーテクノロジーです。これに加えて結晶が成長する方向の均一性も改善したのが“Super”ナノテクスチャーテクノロジーです。結晶成長をより緻密に、より均一的にコントロールした結果、耐摩耗性が飛躍的に高まりました。

髙橋  この結晶成長を最適化する技術に関しては、現状ではおそらく当社がトップレベルだと考えています。高度な技術開発を可能にした背景には、われわれ開発グループと中央研究所が常に、人的な交流も含めて連携を図ってノウハウを積み重ねてきた経緯があります。今回の“Super”ナノテクスチャーテクノロジーに関しても、要素技術そのものは中央研究所で開発されたものですから。

―とはいえ新しい要素技術の開発が、直ちに製品化につながるわけではありませんね。

佐藤  もちろんです。要素技術を適用した切削工具が、お客様が使用する加工条件でいかに安定して優れた性能を発揮するかが求められます。つまりわれわれ開発グループに求められるのは、要素技術を活用して工具を大量生産し、安定した品質でお客様に使っていただくための技術開発です。言い換えれば要素技術を、実際に製品化するための技術が次に必要になるわけです。

耐摩耗性を高める“Super”なテクノロジー

ミクロからマクロへ、スケールの違いが引き起こす問題

―中央研究所のラボレベルで開発された技術を、量産化に持っていくのは簡単ではないと思いますが。

髙橋  そこに開発センターの役割があるわけです。ラボで開発された要素技術について「これでいけそうだ」と納得できたとして、次に必要となるのが生産技術であり、それを開発するのがわれわれの役目です。

佐藤  私は3年前まで中央研究所に在籍していて、CVDコーティングの基礎技術開発に取り組んでいました。その後、筑波製作所に移って今回のMC6100シリーズの開発に携わっています。ですから、結晶の配向制御に関する基礎的なノウハウについては、研究所時代に身につけることができました。ただしラボで行うミクロスケールでの実験と、量産を行う際のマクロスケールでは、前提条件が大きく変わってきます。そんな中でも中央研究所で養った基礎技術に関する知見が、量産確認時に起きた現象を理解するにあたって大変役に立ちました。

―今回は、お客様のご要望が開発の背景となっているだけに、それなりのスピード感も求められたのではないでしょうか。

石垣  確かにおっしゃる通りです。だからといって途中を端折ったりはできませんから、愚直にトライ・アンド・エラーを繰り返すしかない。テストを行って問題を見つけ、解消策を考えて実施する。いわゆるPDCAサイクルをどれだけ高速で回していけるかというのも重要です。ラボと量産ではスケールが異なりますから、実験室とは異なる現象が起こります。しかも量産体制の構築には、生産技術や製造でコーティングに携わるスタッフの協力も得なければ開発は前に進みません。関わるメンバーが増えると、よりスピード感を持った取り組みが必要になります。

髙橋  PDCAを回していく際に徹底すべきことが、原理原則をきっちりと押さえておくことです。これができていると、何か問題が生じたときに、どのパラメータが原因なのか、あたりをつけられるのです。

―そのパラメータがラボスケールの変化にも影響を与えそうですね。

佐藤  パラメータの中には、スケールの変化により分布状態が変わってくるものもあります。そんなときにも、まず基本的な原理に立ち返って、試験を行う前に仮説を立てる。その仮説の実験を通して検証する。このプロセスを、生産技術担当のスタッフともコミュニケーションを取って、お互いに理解を深め合いながら進めていきました。パラメータの変化に基づく仮説構築では、中央研究所から提供してもらった計算データも活用しています。

お客様との共働、異例の取り組みで難所を乗り越える

お客様との共働、異例の取り組みで難所を乗り越える

―では、今回の開発において最も苦労した点はどこだったのでしょう。

石垣  そもそもお客様からの要望で始まった案件ですから、初期段階からお客様と一緒に開発に取り組んできました。まずディスカッションを重ねて、お客様がなにを求めているのかをきちんと掴むのがスタートです。その上でお客様の実際の製造ラインにある加工機を使って、試作品を評価していきました。お客様のニーズにピンポイントに応えていく開発は、社内でもこれまでにあまり例のない取り組みであり、かなりチャレンジングなトライだったともいえます。

佐藤  お客様のラインでテストする際には、開発スタッフが現地まで出向いて立ち会います。まさにテストを行っている実機の横で、お客様のオペレーターから生の声を拾いました。さらに当社の営業マンと共にお客様のエンジニアとも議論を重ねて、次の改善の方向性を決めていったのです。こうしたプロセスを繰り返しながら耐摩耗性を高めていき、ある程度の手応えを掴めるレベルにまで達したところで、最後の難題が降りかかってきました。

―開発の最終段階で発生した問題とは?

髙橋  あるモードにおいて、特定の損傷が出たのです。この問題さえ解消できれば、開発は成功です。けれども問題を解決するには、社内で試行錯誤を繰り返すだけでは難しいと思われました。なぜなら、われわれの試験機では問題の損傷を再現できないのです。

佐藤  問題の発生要因について理論的に検討した結果、1つの仮説が浮かび上がってきました。損傷が発生するのはおそらく、加工を始めてから早い段階であるはずだと考えられたのです。その段階で原因を特定できれば、対策は考えられます。ただ仮説を実証するためには、お客様の加工機を動かしてワークを加工する途中段階で機械を止めてもらい、刃先を確認する必要がありました。お客様からすれば、加工の途中で機械を止めるなど実際にはありえないことです。けれども、そこで確認しないと問題解決できないと説明を尽くして、納得いただいた上でトライしました。

―それで問題を解消できたのですか。

石垣  実機実験の結果は、われわれの予想したとおりでした。加工初期のタイミングで損傷が出るのであれば、それを抑える技術についてはめどがついていたのです。改良を加えた試作品を用意して、もう一度テストしてもらった結果、見事に損傷を抑制できました。すでに耐摩耗性については求められるレベルをクリアしていたので、結果的にお客様にはたいへん満足していただけました。

安定性を高めるため、さらに2つの新技術を追加

―MC6100シリーズには“Super”ナノテクスチャーテクノロジーの他にも新技術が使われています。

佐藤  その1つが突発欠損の抑制効果であり、これが実はお客様の問題解決の決め手となった技術です。CVDコーティングは高温で行われるため、その冷却時にコーティング層の中で引張り応力が発生します。これに刃先不安定加工などを行うと衝撃が集中しやすくなる上、引張り応力は発生した亀裂の進展を抑制することができないため、亀裂が大きく進展し、欠損を引き起こすのです。裏を返せば問題を解消するためには、引張り応力を緩和すればよいわけです。

髙橋  具体的にどうやって引張り応力を緩和したのか、その方法までは明かせませんが、これもトライ・アンド・エラーの繰り返しで問題解決に至りました。基礎的な知見に基づいて、PDCAを繰り返す作業は、どのプロセスでも同じです。

―もう1つのSuper TOUGH-Gripとはどのような技術でしょうか。

石垣  従来、当社にはTOUGH-Gripと呼ばれる、異なる2つのコーティング層を強固に密着させる技術がありました。具体的にはAl2O3層と、その基盤となるTiCN(炭窒化物チタンもしくはチタンカーボンナイトライド)層を接着する技術です。この部分の組織を従来よりも微細化した結果、Al2O3層とTiCN層の接着面積が大きくなり、密着力が高まりました。つまりコーティングの剥離を、従来よりも抑えられるようになったのです。対剥離性の評価試験結果では、Super TOUGH-Gripにより付着強度は従来比で1.6倍にまで高まっています。

佐藤  結晶構造の異なるAl2O3とTiCNを付着させるためには、まずそれぞれの結晶について基本的な理解を深めておく必要があります。異なる構造や組織を踏まえた上で、どのように制御すれば付着強度が高まるかを考えていく。具体的な開発プロセスでは、生産技術のメンバーにも協力してもらい、現場で実際に使われているコーティング炉を使った実験も繰り返しました。

髙橋  どのプロセスにおいても、われわれ開発チームと生産技術部でコミュニケーションを取りながら、開発を進めていく。筑波製作所に携わるスタッフ全員が、同じ目標を向いて意見を交わしながら開発に取り組む。一致団結した姿勢がわれわれの強みだと思います。

耐摩耗性と耐欠損性は永遠のテーマ

―それらの新技術の集大成が、今回のMC6100シリーズというわけですね。

石垣  MC6115は高速切削向けの材種となっています。“Super”ナノテクスチャーテクノロジーを適用した厚膜Al2O3を用いることで、高速切削や高能率加工のように刃先温度が高くなる加工でも優れた耐摩耗性を発揮します。一方でMC6125は、“Super”ナノテクスチャーテクノロジーのAl2O3層の上にさらにTi系化合物/Al2O3積層を加えて、幅広い加工領域に対応可能な切削性能を実現しました。

―お客様からの反応はいかがでしょうか。

佐藤  なにより喜んでもらえているのが、寿命が延びたことです。また加工速度、切削速度を高めるなど加工条件を改善できた結果、生産効率が高まったとの声も多くいただいています。これこそは、まさに今回の開発における目標を達成できているわけで、非常にうれしく思います。あと一点こだわったのが、外観を金色にした点です。これも開発段階にお客様から寄せられた「刃先の使用/未使用をわかりやすくしてほしい」とのリクエストに応えた結果です。おかげでMC6100シリーズをお客様のところに持っていくと「ほぉ、三菱さんの新しいのは全部金色なんだ」と印象よく受け止めていただき、「一度使ってみようか」と商談が進むと聞いています。細かなこだわりではありますが、やってみてよかったと思っています。

耐摩耗性と耐欠損性は永遠のテーマ

―金色コーティングも含めて、新しい技術投入によってコストはどうなったのでしょうか

石垣  価格は、従来とほぼ同じレベルに抑えられています。コストに関しては当然、量産化の段階から重要課題となっていて、生産ラインでのモノの流し方1つまでゆるがせにせず、きめ細かくチェックしていました。このあたりは、担当部署以外にも工場全体の協力を得られた結果です。もとより生産量との兼ね合いでコストは決まってくるわけですが、販売が順調なおかげで前提通りの条件で生産できています。

―今後の課題については、どのように考えていますか。

髙橋  切削工具は、耐摩耗性と耐欠損性の両立が永遠の課題です。ですから、われわれとしてはこの課題に愚直に取り組み続けるのが一点。もう一点考えるべきは、自動車の変化でしょう。自動車が全面的にEV化していったときに、お客様のニーズがどのように変わっていくのか。ニーズの変化が、新たな技術開発の課題に直結しています。加工品位、加工速度などに対するニーズなどもしっかりと見極めながら、新たな技術開発にお客様との共働、異例の 取り組んでいく覚悟です。